20歳の時にアウトバーンを走りました。
まだ、ユーノスロードスターがこの世になかった時代ですから、もうずいぶんと昔話ですね。
速度無制限の道を走る…車が好きになったことがきっかけの経験だったと思います。
走りに行こうと決めたのは、高校1年の頃。
当時ドイツ車は、なぜ高性能なのかを記したある書籍の中にアウトバーンのことが書かれていました。
目的地にいち早く移動できる…その事を具現化した道と車の存在。
速度無制限という響きは、とても興味がそそられるものでした。
その頃、日本ではトヨタのソアラが登場した時期で、その時のCMコピーは「未体験ゾーンへ」というもの。
2800㏄のDOHCエンジンは、スピードへの憧れと余裕の走りを訴求したものでした。
ついに日本車もここまできたか…当時そんな思いと誇りを感じたことを振り返ります。
そのことと並行して、私は当時、アウトバーンとドイツ車を見つめていました。
安全快適に、高速移動できる道…
ドライバーキャリアの浅い外国人が、走ったらどんなだろうか…
自分自身で体感したい…
そんな思いが日に日に膨らみました。
当時、地球の歩き方などが流行り、若者が海外へ行く時代到来という時代背景も後押ししてくれたと思います。
アウトバーンの旅は、結局、2か月間の長旅となりました。
イギリス、フランス、スイス、ドイツ、アメリカの5か国を周りました。
メインデッシュはドイツ・アウトバーンですが、その前後も車を巡る旅となりました。
ジュネーブモーターショー、ドイツ自動車メーカーミュージアム(メルセデス、BMW、ポルシェ)、ロマンティック街道、量産自動車産業発祥の地 デトロイトなど、車にまつわる場所へ足を運びました。
最初の2週間はイギリス エジンバラの語学学校へ。
基本は長期の一人旅、わずかでも免疫力をつけてコミュニケーション力の足しにしたいと考えました。
エジンバラにしたのは、学びの環境を考えたら少しでも日本人がいないところをと考えた場所でした。
楽しかったですね。
6人のクラスでしたが、日本人は私一人でした。
そして一人旅の心の準備が整っていきました。
2週間の短い時が過ぎ、知り合った仲間や先生が開いてくれた送別会も思い出です。
その時、食べた物が原因で食中毒に…翌日の移動が3日間遅れることになりました。
しかし、そのことで命が救われました。
ドーバー海峡を渡るフェリーが沈没する事件が発生…
もしも食中毒にならなかったら乗る予定の船でした。
人生なにが起こるかわからないと身近に感じる出来事でした。
ドーバー海峡を船で渡り、フランスへ…
フランスでは、窮屈に路上駐車する車にお国柄を感じましたね。
バンパーはぶつけるもの…
車は実用車として割り切りが感じられる風景でした。
石畳もフランス車の乗り心地の理由が、理解できるのもでした。
確かに速かったですが、わずかではある横揺れは、日本の新幹線を意識して意地でスピードを出している印象を受けました。
ドイツ国内は、途中で合流する友人とレンタカーで周る計画。
4日間でアウトバーン、ロマンチック街道を中心にドイツを縦断するものでした。
友人とは日本で決めた場所、ジュネーブモーターショーの会場で待ち合わせ、無事に出会うことができました。
今、思えばハッピーストーリーしか考えてなかったと振り返ります。
当時は、携帯電話など通信機器はなかったですから…
その上、私は、日々の宿泊はその日暮らしで決めていたので、緊急連絡先などの準備はない状況でした。
食中毒ではないですが、何かあったらということは、考えてなかったですね。何とかなるという思いが勝る…若さだったと思います。
ジュネーブから、フランクフルトまで電車で移動し、フランクフルトでレンタカーを借りました。
借りる車は、勝手にメルセデスのEクラス以上と決めていたんですが、店員さんから年齢が若いのでと1500㏄クラスのオペルをすすめられました。
これじゃ200キロ出ない…つたない英語で思いを伝えるとメルセデスの190Eであれば…という話になりました。
当時、小ベンツを言われていた車です。2000㏄ 115馬力…最初は少し物足りないと思いましたが、この車のおかげで、その後の車の見方、価値観が変わりました。
金庫の扉を彷彿させる、ドアの開閉音と感触は、当時のSクラスをそのまま小さくした車でしたね。
ついに来たと…胸が高鳴ったことは今でも忘れません。
速度無制限区間は、現在は環境への配慮もあり、相当限定されているようですが、当時も、限定区間はそれなりにありました。
130キロという標識は記憶にありますね。
速度無制限区間は、日本の高速道路ではお目にかかれない広さと直線が印象的でした。
広いところは片側4レーンはあったと思います。
そしてセンターラインに向かうにつれスピード域が上がることに気づきます。
最初は、中央付近の車線で様子を見ました。
一番センター側を走る車両は少ないことに気づきます。
その後、200キロ近いスピードで走る車を何台か確認…助手席の友人に声をかけ、160キロくらいで合流する準備をしてさらにアクセルを開ける…
ちょっと大げさですが、滑走路から離陸するかの如くの気分でした。
メーターの針は180から190へ、そして220キロまで表示されたメーターは、メーター読みで200キロを指しました。
そのまましばらく200キロ前後で巡行。
しばらくすると後ろから、左ウィンカーを点灯させながら近づく車が現れました。
おそらく230キロ以上出ていたと思います。
メルセデスのEクラスでした。
ゆっくりと道を譲ると、右手を上げて挨拶をされたことを覚えています。
このスピードでの余裕の風景。
それからまた、200キロ走行に復帰…
今度は、それ以上の猛スピードで近づく車が、背後に…
250キロ以上は、出ていたと思います。
ポルシェ928でした。
まさに想像していたアウトバーンの風景がそこにありました。
しかし、私が運転した190Eも素晴らしかった。
メルセデス特有の堅牢な感触のハンドルから伝わる印象はドライバーに安心感を与えるものでした。
そしてエンジンはスピード域が上がるほどに、綺麗に調律されていく感触が伝わるもので安定感がさらに増す印象は想像を超えるものでした。
160キロから200キロのスピード域を巡行しながらの移動。
心にゆとりを持てる移動でした。
当時、私のような初心者でも安心して高速移動ができる…以前、本に記されていたことが、事実であることが確認できた瞬間でした。